多すぎて困る
何がって聴いてない曲が。
最近は「ひとりブリティッシュ・インベイション」と決め込んで大英帝国の曲ばかり聴いていたのですが*1今日になってまた先輩から6枚くらい大英帝国とは別の方向のCDを借りて、「これ聴けば自分の知ってる音楽の知識も増えるだろ…いや、その前に聴けるか?」と喜んだり不安になったりの俺です。
そしてiPodの中身も増殖というか膨張しそうです。最近最新型のiPod Classic 80GBに変えたのですが、たぶん二年もたてば足りなくなるでしょうね。もしこの調子で増えたら、死ぬまでには1TBは必要になるでしょ。そのころのiPodってどうなってるんでしょうね。俺の妄想では脳組み込み式で聴けるようになってると思うけど。しかしそれじゃ同期の時にパソコンの前を離れられないね。けど「絶対に置き忘れない」「イヤホン無用」だからいいかも。でも、一年組み込んでると頭痛がするとか、脳出血になるとか、腫瘍ができるってのはやーよ。というか、iPodはつねに電磁波を発してるわけだからそうなるような気もするんだけど…。
結局そのままかもね。いいものは変わらないのです。
*1:しかも最近の曲ばっかり。
悲惨って言うレヴェルじゃねえぞ
東京から新幹線で帰省する途中、「ああ、なんて悪意に満ちた平和なんだろう」とつぶやいてしまいました。ってそれどう見てもギンボーです、本当にありがとうございました。
どうも俺です。
情けねえな。昨日までコールオブデューティー4やってたので危うく血まみれ*1の年末になるところでした。っていうかなかなか勝てないんだよ、助けてくれ。っていうかそれ自体が情けない。
来年はまた俺も文句垂れながらこの人生を馬鹿らしく生きていることだろうよ。
おっと、いけねえ、今年はまだ終わっちゃいねえんだ。すまんね。
*1:しかも大半俺の血
追記。
「知識はみなで共有すべきであり、全ての人が自由に使ってこそ文化や科学の進歩につながる。」─トマス・ジェファーソン
僕が最近のDL規制問題とかみっくみく登録問題について言えることは何もない。自分の言葉で説明しようとするとどうしてもうまくまとまらなくて、チラシの裏みたいになっちゃうんだ。
その代りにこのローレンス・レッシグ教授の講演を紹介しておく。これはすごくいいんだ。全部金言みたいなものだよ。
長いけどちょっと我慢して見てもらいたい。勇気をもらえたり、考えを変えられたり出来る筈だから…。
関連:log.ittousai.org(http://ittousai.org/mt/)
真っ黒だけど赤い銃です。
しばらく音沙汰のなかった俺ですが、実は俺の愛銃カラシニコフこと東京マルイ AK47のカスタムで忙しかったのであります。それで出来上がったのがこれ↓
ちなみにカスタム前のカラシニコフはこんな銃でした。↓
主として共産圏の兵士とか紛争地帯の民兵が使うイメージが強いAK-47ですが、最近はアメリカ軍兵士やPMCオペレーター*1の間で今回やったようなカスタムを実銃に施して戦闘に投入する、なんて動きがあります。
こういうカスタムしたAK47の電動ガンを持っている人も最近は結構増えてきたような気がします。その中にはこれよりずっと凄いものだってありますから、俺のカスタムだってまだまだです。いろいろ改良点があって、ここには載せきれません。
だから、これはまだカスタムの第一段階かも知れません。これからどんどんパーツをつけていく予定です。またちょっと変わったらここに書こうと思います。
↑おまけ:画像のひげのおっさんが持ってるのがカスタムAK(AKM)。これくらいのものになれば立派である。
*1:何のことはない、警備任務の傭兵です
大体長すぎるんだよ…
「好きを貫く」よりも、もっと気分よく生きる方法 - 分裂勘違い君劇場 by ふろむだなんだが、長すぎる。長すぎて読めない。以上。
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…って終わるなおい。って言うわけでこれに関して何となく私見を書いてみる。*1
というか俺もそれなりに流し読みしてみたんだけど、到底この意見には賛成できない。大体いいかげんに生きてみたって、それが一番飽きやすいことなんじゃないかと思うね。もちろんたまにはそうしたいときだってあるけど、仕事する上で何らかの指針や目標やマニフェスト*2が必要なのは当然である。でも、その指針や目標やマニフェストに基づいて仕事する間にいい加減に活動する事は勿論許容範囲内だけど。けど、それは余暇って言って、決して仕事じゃない。
それより、一番あやしいのは「好きなことを仕事にしてもそのうちやり続ければ苦痛になるんだから、あえて仕事にしないでおこう」とか何とか書いてある一節である。
俺は決して仕事ではないが、ここ一年近く音楽活動を続けている。まあその中で、苦痛ってわけでもないが俺はたまにめんどくささを感じることがあった。でも、俺はそう言うときでも個人練習を続けている。
俺がめんどくささを感じても個人練習をするのは、「好きだから」ではなくて「義務」を感じていたからだと思う。「次のライブまでにこの曲のギターを覚えておかなきゃならない」とかね。別にそれは決して苦痛ではなかったし、むしろ最初は義務感ではじめてもだんだん楽しさに変わっていくこともあったもんだ。
でも、それも「苦痛」って定義されなきゃならないんだろうか。
俺は決してそうは思わない。むしろ、好きでやっていることに義務感が伴わないと、むしろそっちの方が苦痛である。「俺は何やってるんだ?何の実りがあるんだ?」ってね。俺的には、むしろ好きなことは「楽しさ:義務=7:3」ぐらいがちょうどいいんじゃないかと思うけど。いや、五分五分でも耐えられる。
今回のネタである記事の後半に書いてあることについてはさっぱりわけがわからんので触れないでおく。ポストモダンって何?それおいしいの?